ロックがあまりにも細かくジャンル化された結果として、ライブ会場には、特定の観客しか集まらない現象が日常的になった。その日がパンクならパンク風の若者ばかり、レゲエならレゲエ風と、入場前の列を見ただけで出演アーティストのジャンルが分かる。まあそれは、日本のロックがそれだけ多様になった証拠と言えるが、その一方で、他ジャンルに関心を示さないとても偏狭なロックファンを増殖させたとも言える。例えばビジュアル系が好きな人たちは、ビジュアル系以外の人たちといっしょにロックを共有する機会がなく、またそれを積極的に望んではいないように見える。これはとても淋しいことで、さまざまな価値観の人たちと出会うことを、あらかじめ拒否し、同族たちで盛り上がり、その群れから一歩も外へ出て行かない。まさに村意識そのものです。
元来、ロックは、そういう壁をぶち破るものとして登場したはずです。 それがいつのまにか、初めにカテゴリーあり、という狭い音楽になってしまった。 「バンドやってます」と言うと、「どんなジャンル?」とすかさず聞いてきます。それを確かめなければ話は先へすすみません。そういう会話が普通になっています。 サルサがCDをリリースするときも、ジャンルを問われました。パンクなのかミックスチャーなのかと。ジャンル分けが無いと説明出来ないと言うのです。仕方ないので「バリアフリーロック」と名乗りましたが、ほんとうはジャンルなんてどーでもよかったのです。 サルサガムテープは、性別・年代・国籍・人種・ロックの好み・障がいの有無・思想の不一致・そういういろんなことをすべてとっぱらい、みんなで楽しめるバンドにしたかったのです。でも、そんなこと、ありえないから、ジャンルを問われてきました。 それが、7/2福岡ロゴスで、ありえちゃったのです。 集まってくれた4歳から80歳までの観客は、すべてをとっぱらって、サルサを楽しんでくれました。個人的に、30年以上も、目指していたロックのあるべき形が、目の前で実現したのです。涙が決壊しそうになったのは、そういうことだったのです。 ライブ実行委員会と来てくれたすべての方々に、感謝します。 夢見ていた世界を見せてくれたのです。 ありがとうございます。 スポンサーサイト
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「サルサガムテープ」のリーダー かしわ哲の見つめる世界 |
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